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平均よりちょっとだけ多めに映画を観る人間の雑記

早川雪洲の容貌についてつらつらと書いた

私は日本人ハリウッドスター・早川雪洲が好きである。早川雪洲卒業論文を執筆したくらいには好きである。

『チート』の早川雪洲。ご覧の通りとても美しいですね。

そんなわけで、彼に関する資料やら文献をぼちぼち当たった。早川雪洲が「美男子」であるという描写にも度々出くわしてはニヤニヤしていた。例えば以下のサイトなんかそうだ(この中の「日本人としてもっとも早く活躍した国際的映画俳優」という表現が適切かどうかは微妙だが……鶴子夫人のほうがキャリアが長いので……)。

www.ndl.go.jp

上記のサイトを足がかりにして、つらつらと今まで出くわしてた早川雪洲の外見描写をまとめ、ざっくり考えたことを述べるなりしたいと思う。ようは私の卒論の戦後処理である。おかげさまで気の抜けたタイトルである。二本書かせてもらえたならどんなによかったでしょう。

さて、上記サイトに引用されている『当世書生気質』の「頗る上品なる容貌」である主人公の外見描写から、近代日本の美男子の基準は「鼻が高いこと・眼が涼しいこと・口元が尋常である(引き締まっている)こと」であることがうかがわれる。
また、同じサイトには、当時の国際基準の「いい男」の代表例として早川雪洲の名前が挙げられている。彼の美貌とキャリアの関係についてまず考えよう。

雪洲がスターダムに上り詰めたのは、その顔の美しさがきっかけであった。彼は『チート』(The Cheat, 1915)で悪役の日本人富豪を熱演し、彼の醸し出した「エキゾチックな魅力」と「神秘的で残忍なセックス・アピール」*1は全米の女性を魅了した。『チート』の興行収入は当初の予想を大きく上回る300万ドルにものぼり、以降彼は主演俳優としての立ち位置を盤石にした。『チート』を通した彼のキャリアの変容と顔の美しさの関わりについて、当時の映画雑誌は以下のように述べている。

映画の主人公、つまり人気アイドルを目指す俳優なら、ハンサムな顔を持っていることを悔やむことはないだろう。早川雪洲もこの例に漏れないことは疑いない。しかしまた、この映画(引用者注:チート)の初期の観客はこの狡猾な悪役に美しさを求めていなかったのも事実であろう。もし彼が悪役を演じ続けていたら、彼の美しい顔はアイヌの口ひげに覆われ、今や何の疑問もなく劇場に通う女性たちの人気を得ることもなかっただろう。*2

つまり、早川雪洲の美しさは『チート』の悪役に想定外の相乗効果をもたらし、彼の演じる役に新たな方向性を切り開いたということになる。この頃のアジア系俳優は黄禍論の影響から悪役を演じるのが基本であったが、雪洲は悲恋物の主演が増えた*3

1922年に行われたスイスの映画評論雑誌によるスター人気投票では、早川雪洲が悲劇俳優部門の1位となっている。死後『ニューヨーク・タイムズ』紙に「神秘的でハンサムな主演俳優」*4であったと評されていることからも、彼の顔は欧米人から見ても美しいものであったことがわかる。

ここからは、早川雪洲の顔の具体的な特徴を同時代の文献から洗い出し、先述した日本の美男子の基準と照らし合わせて見ていく。
まず、雪洲の鼻については「彫刻的に調った鼻」*5との記載がある。
次いで眼について、「おそらく、手入れに余念のない多くの舞台女優が、彼のしわのない肌、澄んだ目、白い歯をうらやむかもしれないことを、彼はまったく意識していないのだろう」*6と書かれていること、またファンの女性たちが雪洲の魅力的な部位に「涼しい、鋭い眼」*7「水晶のやうな美しい瞳」*8を挙げていることから、雪洲の眼は涼しげで美しいと捉えられていたことがわかる。また、彼の口元については「美しい口」*9と表現されている。
そして、時代は多少下るが、1930年の新聞記事が雪洲の顔について詳細に描写しているので、以下に引用する。

広い額、高くキッとした鼻、薄く小さく引き締まった唇、長い顎、そしてその長い顔の中で、最もよく持ち主を活かしているものは、ジッとすわる黒目、らんらんと輝く白眼、それに相応せるまぶたの切れ。*10

これらのことから、早川雪洲の顔は今節の冒頭に述べた美男子の基準である「鼻が高いこと・眼が涼しいこと・口元が尋常であること」に適合していることがわかる。彼は日本においても、また世界においても美しいとされるまさに”国際基準”の顔の持ち主であったといえる。

また、彼の体格や姿態についてもとりわけ日本国内では讃美の対象であった。映画研究家の宮尾大輔によると、当時の日本の映画雑誌は雪洲について「早川は平均的な日本人俳優より抜きん出て大きく、アメリカ人の体格に近い」と述べ、「アメリカ人俳優のようなエクササイズおよびアメリカ人的な自然な表情を獲得するための訓練を毎日欠かさない」と記述している*11。当時の日本では、欧米文化と美意識の流入に伴う白人コンプレックスが生まれていた。それだけに「西洋的」な身体をもつ雪洲は理想像とされたのであろう。
雪洲の身体の「西洋的」側面については、当の欧米においても指摘されている。イギリスの新聞では「多くの東洋人とは異なり、彼はいつもいきいきとした表情で、人情味のある笑みを浮かべている」*12、フランスの映画雑誌には「身長1.70m、体重70kgと、日本人にしては長身だ」*13と記述がある。こうしたメディアの描写は、当時欧米において野蛮であるとみなされていたいわゆる「東洋」のイメージと、スターである早川雪洲を差別化する意図のものであったと考えられる。日本のメディアによる雪洲の「西洋的」身体の称揚と、欧米メディアによる雪洲の適度な(西洋人から見た彼のエキゾチックな魅力を失わない程度の)「西洋化」は、いずれも「東洋」と一線を画す存在としての雪洲を讃美するものである。いかに日本の「美醜観」が欧米のそれに影響を受けたかが示されているといえるだろう。

ちなみに、冒頭に挙げたサイトでは、他の「いい男」として外交官の陸奥宗光が例に挙げられていたほか、「外交家の最初にして、又最終の条件は顔面の優秀にある」という言葉が紹介されている。
この外交官と美貌について、早川雪洲にも関連する話がある。雪洲の結婚式で仲人を務めた長谷川新一郎がその著書『在米邦人の観たる米国と米国人』において、横田千之助*14が「君、雪洲は役者ではないよ。ああいう外務大臣が欲しいものだ」*15と発言した旨を書き記している。
尤も、この発言は雪洲の美しさを評価したというよりも、雪洲が世界を舞台として精力的に活動している点を念頭に置いてのものであろう。実際に、雪洲はハリウッド時代に所有していた32部屋の豪邸、通称「グレンギャリ城」を日本領事館の来賓接待に貸し出し、広く在米邦人社会に貢献していた。また、ハーディング大統領とホワイトハウスで会談するなど、政治家との繋がりも多くあった。これらを理由に、ハリウッド映画史家マーク・ワナメーカーは、雪洲が日米外交に何らかの関わりがあったのではないかという自説を披露している*16。そうした説が考えられるほど雪洲が欧米と渡り合えたのは、やはり彼の神秘的な美しさによって確立されたスターダムがその土台にあるためであろう。
外交官であり美しさを称えられた陸奥宗光と、美しい顔を持ち外交官にと望まれた早川雪洲の存在は、なんとも興味深い類似を見せているような気がする。


と、いうわけでこのあたりでシメとしたい。もともと卒論の一部として書くなら、を仮定して練った文章なので、脚注の多さや若干の硬さはご愛嬌である。卒論本体のテーマを「早川雪洲の顔」とかにして書いたほうがいっそ筆がもっと乗っていたかもしれない。冗談だが。

うかうかしているうちにアカデミー賞の発表も終わってしまった。ミシェル・ヨーキー・ホイ・クァンの快挙は本当にめでたい。ジェームズ・ホンがインタビューでたびたびイエロー・フェイスや『大地』の話に触れるので、それを見つつアンナ・メイ・ウォンや早川雪洲にも思いを馳せてしまうわたしである。
次のブログはおそらくエブエブの感想になる気がする。

*1:木全公彦「世界はなぜ早川雪洲にひれ伏したのか」『東京人』2013年4月号、p116-123

*2:Sunset Magazine: Central Edition 1916-07: Vol 37 Iss 1 : Free Download, Borrow, and
Streaming : Internet Archive p23 https://archive.org/details/sim_sunset-central-west-edition_1916-07_37_1

*3:相手役のほとんどが白人女優であったが、当時異人種間恋愛は禁忌とされていたため、雪洲が演じることのできた筋書きは恋愛が成就しないもの、つまり悲恋物に限られていた。

*4:

https://www.nytimes.com/1973/11/25/archives/sessue-hayakawa-is-dead-at-83-silents-star-was-in-river-kwai-no.html

*5:霞浦人『早川雪洲 傑作集』(春江堂、1922年)p62

*6:Sunset Magazine: Central Edition 1916-07: Vol 37

*7:森岩雄早川雪洲』(東洋出版社、1922年)p57

*8:早川雪洲 傑作集』

*9:早川雪洲

*10:朝日新聞「雪洲の眼 帝国劇場のウォング/鬼太郎」1930年9月8日

*11:宮尾大輔「太平洋のはざまで――早川雪洲サイレント映画期のスターダム」『国際交流』(26)(国際交流基金、2003年) p40-41。孫引きになっていてむずがゆいので元ネタを探している。

*12:Among the Movies;Hully Daily Mail 1921/2/23

*13:Le Courrier des cinémas : organe indépendant d'informations cinématographiques ["puis"
organe officiel du Syndicat des directeurs de cinéma] 1926-03-26

*14:立憲政友会所属の政治家。加藤高明内閣で第28代法務大臣を務めた。

*15:長谷川新一郎『在米邦人の観たる米国と米国人』(実業之日本社、1933年) p403

*16:鳥海美朗『鶴子と雪洲 ハリウッドに生きた日本人』(海竜社、2013年) p143-144