わたしがアラン・ドロンという俳優の存在を知ったのは高校生の頃だった。
ある年の元日、特にどこに出かけるわけでもなく、かといってお正月編成のテレビ番組を見る気にもならず、わたしと父親は近所のレンタルビデオ屋に行った。わたしは特に観たい作品はなかったが、父親は1枚のDVDをカウンターに持っていった。旧作の名作再発掘、のようなキャンペーンシールが貼られていたと思う。「アラン・ドロンの映画なんて久々だなあ」と父親は言っていた。かくしてわたしは父親の隣で『ボルサリーノ』を観ることとなった。
わたしの頭に残る『ボルサリーノ』初見の感想は朧げなものである。ボルサリーノって帽子の名前ではなかったか。映画もあるんだ。確かにこの人たちは小洒落た格好をしている。アラン・ドロンは黒髪を撫でつけて眼光の鋭い、いわゆる二枚目俳優という印象だった、と思う。
高校生のころといえば映画を意識して観始めたくらいのころで、わたしは新たに覚えた「アラン・ドロン」という俳優の名前を手がかりに、次に観たい映画のピックアップをした。それが『太陽がいっぱい』『サムライ』『パリは燃えているか』と年々少しずつ積み重なっていくうちに、いつしか彼は「名前と顔が一致する俳優」から「好きな俳優」のカテゴリに入っていた。あれだけ造形の完璧な顔を何度も観て好きにならないほうが無理がある、かもしれない。人それぞれだと思う。ニュースでも日常でもなんでも、彼の話が出るとうれしかった。大学の講義で、『太陽がいっぱい』を流しながら、教授が「アラン・ドロン、本当にかっこいいですね~」しか言わなくなった回には共感しつつも笑ってしまった。就職してからは、てっきり世の壮年男性は自分の父親みたいに映画が好きなものと思っていたわたしは「アラン・ドロン? 知らない。落語家があらーん、どろーん、って言ってるのは知ってるよ」と笑いながら上司に言われて、思わずハァ?という顔をした思い出もある。
わたしの知る彼の姿はほとんどが60年代か70年代の姿だし、自分の生きているリアルタイムで彼の姿を見かけることもほとんどなかった(強いていうなら、某バラエティ番組で英語がハチャメチャな芸人が勢いのまま映画祭でスターたちをパパラッチする企画で近影を見た。若い女性タレントが「アラン・ドロン、名前は知っているけど、それ以上は…」「『太陽がいっぱい』? 太陽は1つしかないですよ?」のようなことを言って、芸人がいたく驚いていた。私も衝撃を受けた)。でも、たまに彼と同年代に活躍した映画スターの話を聞いては、「そういえばアラン・ドロンってまだ元気だよな、いま何してるんだろう」と思う瞬間が嫌いじゃなかった。
ちなみに自分のいちばん古いアカウントのツイートを遡ったら、2020年の8月に「クリストファー・プラマーもアラン・ドロンもなかなか高齢だなあ」ということを書いていた。あれから4年たち、2人とも鬼籍に入ったので、時の流れは容赦ないと思う。
彼が亡くなったと知ったとき、ふと思い出したのは、就職活動の最終面接で「アラン・ドロンが好きな若い子は珍しいね」と言われたときのこと。「太田裕美の歌にも出てくるよね」と言われ、ああ、『木綿のハンカチーフ』のひとか、と思った。アラン・ドロンが出てくる歌はついぞ聴いたことがなかった。太田裕美、アラン・ドロン、と調べて出てきた曲名をミュージックで再生した。
"アラン・ドロンと僕を比べて陽気に笑う君が好きだよ"と歌う彼女の声。フランスが生んだ世紀の美男子と一般男性を比べる"そばかすお嬢さん"の無邪気さにふふふと笑みがこぼれた。アラン・ドロンの追悼上映に足を運ぶわたしの頭には、太田裕美のこの明るくてどこか悲しい歌声がリフレインし続けている。
さて、8月にアラン・ドロンの訃報を聞いてからゆっくり書いていたのが上記の文章である。ぼちぼち各所で彼の追悼上映が行われ、足を運んできたのでまとめて感想を書けたらいいなと思っている。ちなみに彼の出演作でいちばん好きなのは『ゾロ』です。おわり。