郵便配達はベルを鳴らさない

平均よりちょっとだけ多めに映画を観る人間の雑記

ハラキリ、セッシュー・ハヤカワ! 新国立劇場オペラ『修道女アンジェリカ/子どもと魔法』

あなたは自分の好きな俳優が突然オペラの歌詞でハラキリを宣言されたことがありますか? 私はあります。

たまには葛飾北斎切腹する回があったっていいな(そんなわけはない)。

何百回目の説明かわからないが、私は草創期ハリウッドの日本人スター・早川雪洲が好きである。今でこそ知名度は低いが、100年前はそれはもう有名で、欧米にも(むしろ欧米でこそ)広くその名が知れ渡っていた。
その証左として、あるオペラの歌詞に彼はなんの脈絡もなく登場する。「ハラキリ、セッシュー・ハヤカワ」と。なんでだよ。いっそ某年末年越し番組で突然タイキックを宣言されがちな某芸人と既視感を覚えてしまう。1910年代のハリウッドのガキ使にありがちなこと:(デデーン)早川、切腹。たぶんバスター・キートンは番組中盤の鬼ごっこで花嫁候補の女性たちに追いかけられて無表情で逃げるんだろうな……(『セブン・チャンス』のイメージが強すぎる)など、存在しないバラエティ番組を考えてしまうくらい意味不明である。

そんなわけで、かねてから気になっていたオペラ『子どもと魔法』が新国立劇場でかかるらしい。プッチーニの『修道女アンジェリカ』とダブルビルというわけで観に行った。U25割引バンザイ。5,000円でオペラが観られるってすばらしいね。

さらにキャンペーンに当選し、定価1,500円の公演プログラムを無料で頂いてしまった。新国立劇場ほんとうにありがとう。
腹を切らされる早川雪洲目当てで観に行ったとはいえ、せっかく二本立てを観に行ったので両方の作品の感想をざっくり述べておこうと思う。

『修道女アンジェリカ』

プッチーニ作のオペラ。未婚の母となった貴族の令嬢が修道院で暮らしており、音信不通だった親族が7年ぶりに来訪して……という筋書き。
白を基調としてすっきりとした色味の舞台セット。だからこそ日暮れの金色の光や、青みがかった照明の色がとても映える。新国立劇場にはちょこちょこ行っているが、せりを使った舞台装置の入れ替えを初めて見たので印象に残った。バックステージツアー参加してみても良かったかも。
オペラについては永遠の初心者なので本当に浅い感想しか書けないのだが、アンジェリカ役の人の歌がうまかった(それはそう)。慟哭するかのような歌声でボリュームがぐわっと上がるのすごかったな。

『子どもと魔法』

修道女アンジェリカと打って変わって超カラフルで超にぎやか。冒頭の演出がゴリゴリに映像だった。
ソファと椅子、置き時計、中国茶碗にティーポット、本の中のお姫様、暖炉の炎、庭の木などなど入れ代わり立ち代わり。数学の教科書の歌詞で、「100年前のフランスの数学の教科書といまの日本の数学の教科書の問題ってほぼ似てるな」と謎に感動した。蛇口を2つひねるな。列車を20分ごとに走らすな。
あと途中でめちゃくちゃキャッツに既視感のある場面があった。でも制作年代としては『子どもと魔法』のほうが先なんだろうな。人間は猫を踊らせたがるらしい。

さて、ぼちぼちハラキリするセッシュー・ハヤカワの話に移ろうと思う。

フランスと早川雪洲

「ハラキリ、セッシュー・ハヤカワ」が歌われるのは『中国茶碗の歌』の中だ。参考に演奏会で歌われたらしい映像を貼っておく。

youtu.be

『子どもと魔法』の初演は1925年であるが、その少し前の1923年に早川雪洲は『ラ・バタイユ』という日露戦争を題材にしたフランス映画を制作・主演している。日本海軍中尉のヨリサカ侯爵を演じ、この映画は大ヒットを収めた。

ヨリサカ侯爵を演じる早川雪洲。30代の男盛りである。ご覧の通りとても美しいですね。

……というところまで、公演プログラムにも記載がある。

実は早川雪洲という俳優はフランスでもともと評価が高かった、というところをまとめておきたい。
早川雪洲といえばまず1915年の『チート』が有名である。日米では外交問題に発展したが、フランスにおけるこの作品の芸術的評価は高い。たとえば以下は『ラ・バタイユ』の批評だが、

(中略)だからといって、フランス映画における早川雪洲の存在の格別な重要性が損なわれるわけではない。日本の偉大な無声映画俳優である彼は、自分にふさわしい役を見つけた。スクリーンの『ラ・バタイユ』は彼無くしては『ラ・バタイユ』たりえなかっただろう。(中略)『チート』の驚異的な表現者は、この作品で自分の力を最大限に発揮し、人間の表現力の極限にまで達し、私達の中に無限の苦痛、苦悩、絶望をもたらしたことは明らかである。*1

『チート』での早川雪洲が高く評価されていることがわかる。なんなら『チート』は1937年、雪洲二度目の渡仏の際にリメイク版が制作される。作品のオープニングでは「早川雪洲とファニー・ウォード出演の1915年版『チート』の翻案」という字幕とともに、1915年版の映像が流れ、早川雪洲がオリジナルとほぼ同じ役回りで登場する。

ついでに『ラ・バタイユ』撮影のために渡仏した早川雪洲についての新聞記事があったので、ざっくりの翻訳で引用しておく。

パリの来客の中に、今日存在する最も著名な人物の一人がいる。その人は強大な国家君主でもなく、政治的にスキャンダルを起こしたわけでもなく、偉大な党指導者でもなく、有名作家でも、船長でも、傑作の創始者でもなく、音楽家でも、画家でも、天才的な彫刻家でもなく……これ以上探す必要はない。その人は映画スターだ!
どうしてもっと早く気づかなかったのか? どうしてそう言わなかったのか? 映画俳優の他に本当に輝かしい人物などいるだろうか? チャリオット、フーティット、マックス・ランダー……。銀幕のスターたちほど、その名声がまばゆく、議論の余地のない、普遍的な人物を他に挙げることができるだろうか?

今この瞬間、日本の偉大な芸術家である早川雪洲が、生身の早川雪洲として私達と共にいることは、私達にとって大きな名誉であり、貴重な喜びである。これは誇りに思うのが当然ではないだろうか?
早川雪洲は日本を離れ、フランスへ来ることを良しとし、記者たちはこの偉大な人物の御前に立ち会わせてくれるように頼み、彼は慇懃にもインタビューに応じてくれた。*2

べた褒めすぎる。他にも良さげな記事がないかと思ったが、逆に大量にありすぎてピックアップに骨が折れそうなので断念した。ちなみに同記事では、早川雪洲を「偉大な国家元首だけに許される栄誉を受ける」だとか、demi-dieu(dieuが神とか崇拝対象といった意味のようである、つまり半神のようなニュアンス?)と表現されている。本当にべた褒めだな。

というわけで、『子どもと魔法』の制作された当時、早川雪洲はフランスにおいてもとてつもなく有名人であり、「ハラキリ」と並んで「日本」(東洋)を表象する存在であったといえるだろう。でも出てくるの中国茶碗の歌なんだよな……。サオラ、カスカラ、ハラキリ、セッシューハヤカワ。とっても中国風でしょう?(投げやり)

ちなみにネットで見かけた別演出の『子どもと魔法』では、ハラキリするのは早川雪洲でなくブルース・リーにされていた。ブルース・リーはハラキリしないだろ。

 

ハラキリの表象と早川雪洲

フランスにおける切腹の表象については、ネットの海で発見したこちらの論文に諸々が書いてあった。

フランスにおける「日本」のイメージ形成 ―「ハラキリ」を中心に― 
https://www.pref.kanagawa.jp/documents/32645/k0702.pdf

切腹、すなわち「ハラキリ」がどうフランスの人々の口に膾炙したのかが書かれている。その中に、『ラ・バタイユ』の原作小説で日本人将校が理由不明で切腹をしたという記述がある。原作未読なのでどの人物が腹を切ったのかわからないし、映画版でヨリサカ侯爵は切腹をしていない(はず。こちらも未見で悔しい)ではあるが、いずれにしろ当時の「日本」イメージの代表格たるハラキリと早川雪洲が並べられるのはむべなるかな。

ついでにイギリスの新聞の論評には、

早川雪洲のスターとしての唯一の欠点は、当然のことながら、白人女性と関係を持つことができないということだ。もし脚本家が彼と白人女性の関係性にけりをつけようとするなら、彼は最終的にハラキリをしなくてはならない。*3

とある。ハラキリはhari-kariと書かれていたが、たぶん記者は腹を切らせたかったのだろう。全員三島由紀夫なのかというレベルでハラキリが好きなようだ。

ちなみに早川雪洲が映画の中で切腹をした件数はどのくらいなのだろう*4。『ハシムラ東郷』には切腹を仄めかす場面の写真が残っているようだし、戦後になるが『戦場にかける橋』でも切腹に言及する場面があったはず。『戦場よ永遠に』では腹を切っている。
舞台では英国王室の招聘で上演した『サムライ』で切腹しているらしい。
でも結局は実際に早川雪洲が腹を切ったかどうかなんて大して関係なく、「アジアっぽい単語を並べられればOK」だったんだろうなと思う。

というわけで以上、オペラで脈絡なく切腹宣言される早川雪洲おもしろいねという話でした。
『ラ・バタイユ』を死ぬまでに観たいです。おわり。

 

*1:Cinéa, J. Tedesco et P. Henry, 1923-12-15, p12-13

*2:La Presse, 1923-08-27

*3:"The Men and Women Today" Dundee Courier, 1923-10-10

*4:めちゃくちゃ蛇足だが、私は早川雪洲海軍兵学校に落ちて腹を切ったという話をわりと疑っている。その話の初出が英語自伝なので……