郵便配達はベルを鳴らさない

平均よりちょっとだけ多めに映画を観る人間の雑記

無限は弾きこなせない『海の上のピアニスト』感想

『午前十時の映画祭』なる映画特集がある。

1年単位でラインナップを組み、古今東西の映画を上映してくれるという極めてありがたい特集である。ちなみに2024年度の公式サイトはこちら。

asa10.eiga.com

私の父親も(世間の平均と比べたら)映画が好きなので、次年度の顔ぶれが出るたびに「このラインナップどうよ」と見せている。
2023年度のラインナップを見せた際に父親が「これ好きなんだよね、観たいな~」と言ったのが『海の上のピアニスト』だった。父親孝行するか~と思い、忘れっぽい父親の代わりにチケットを取った。そんなわけで鑑賞に至る。

www.youtube.com

ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督と映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネがタッグを組み、船上で生まれ育ち一度も船を降りることがなかったピアニストの生涯を描いたドラマ。1900年。豪華客船ヴァージニアン号の機関士ダニーは、ダンスホールのピアノの上に置き去りにされた赤ん坊を見つけ、その子に「ナインティーン・ハンドレッド」と名付けて育て始める。船という揺りかごですくすくと成長したナインティーン・ハンドレッド。ある晩、乗客たちは世にも美しいピアノの旋律を耳にする。ダンスホールのピアノに座って弾いていたのは、ナインティーン・ハンドレッドだった。
https://eiga.com/movie/1793/

(午前十時の映画祭の宣伝しときながら予告編と解説文違うところからの引用なのはつっこまないでください)

主人公の名前は、正確には「ダニー・ブードマン・T・D・レモン・1900」である。名付け親の名前と主人公が入れられていたレモンの箱と西暦を魔合体させるとこうなる。ダンブルドアといい勝負すぎるだろ。ちなみに本編ではほぼほぼナインティーン・ハンドレッド呼びです。

好きなシーンはいろいろあるが、ぶっちぎりで好きなシーンはコーン吹きことマックス(本作の語り手)と1900の出会いである。
トランペットの即興実演という荒業でヴァージニアン号のジャズ隊に採用され、船に乗り込んだマックス。その晩は嵐で、船はひどく揺れ、彼はフラフラとよろけつつあちこちをさまよいながら船酔いに苦しんでいる。
そこに現れたのはテールコートに身を包み、金髪を撫でつけた青年。「コーン吹き、船酔いか?」「治してやる」。ひどく不安定な船内を悠々と歩き、ダンスホールのピアノの椅子に腰を下ろす青年。ピアノの車輪止めを外し、マックスに隣へ座るように勧め、やがて船の揺れに身を任せピアノを弾き始める。彼こそ1900であった。

船が揺れるのと一緒にカメラも揺れるため*1、私もコーン吹きよろしく酔いそうになったが、あまりにも素敵な場面だった。楽しそうに弾くピアノもさることながら、揺れる船内を涼しい顔で歩いていく1900のあまりに人間離れした様子が印象的。いやこんな出会い方したら一生忘れられないだろう。ダンスホールのガラスを揺れ動くピアノで突進して突き破っていたが(すごい日本語だなこれ)、彼らが船長に大目玉を食らわなかっただけが心配である。

そしてジャズの生みの親ことモートンとのピアノ対決。1900の噂を聞きつけたモートンがヴァージニアン号に乗り込んでくる。三番勝負で初っ端から本気で演奏をするモートン。1曲目は自分がくわえていたタバコをピアノに置き、ピアノが焦げる寸前で見事に曲を弾き上げ、2曲目でも観客から喝采をほしいままにする。それに対し、1曲目はきよしこの夜、2曲目はモートンと全く同じ演奏をする1900。
そして3曲目。1900が本気を出した。目まぐるしい音の量。腕が4本くらいないとできないような超絶技巧の早弾き。観客はあっけにとられ、葉巻を落としたことも、カツラが取れたことすら気づかない。弾き終えた1900は、早弾きで熱をもったピアノ線でタバコに火を点け、モートンにくわえさせる。

ピアノ線って、熱を持つ構造、ある? と思ったがそこはそれ、モートンへの意趣返しである。ピアノ対決は何をもって勝利になるのかよくわからなかったが、1900の技巧の前にモートンはプライドをへし折られ、次の港で目立たないように降りていった。


と、ここまで良い方向で印象に残ったシーンについて書いてきたが、逆にぎょっとしたシーンもある。

1900が出会った乗客に「海の声を聞いた」という男が居た。彼は海の声を聞き、末娘のためにアメリカへ行って新たに人生を切り拓くことを決めた。
その数年後、「父は海の声を聞いたの」と語る少女がヴァージニアン号に乗っていた。1900は彼女の美しさに一目惚れし、彼女を想いつつ弾いたピアノ演奏の録音レコードを渡そうとする。どう声をかけようかと1人で自室で練習をする1900が健気である。

ここまではいいのだ。ここまでは。

が、1900がある夜、三等女性客室に忍び込む。
三等女性客室は、ひとつの空間に三段ほどのベッドがひたすら並んでいる。一等のような個室ではなく、イメージ的には「体育館に何百人もが布団敷いて寝てる」ようなものといえばいいだろうか。明らかに女性専用空間だろう。なんで忍び込んだ?
そして彼は寝静まっている女性たちをきょろきょろと見回し、想い人を見つけると、寝ている彼女の唇にキスをする。ア、アウト!!!!
1900が慌てて身を隠すと同時に彼女は目を覚ます。危なかった。危なかったというよりもう完全にアウト。何やってんだ1900。映画だからギリギリ許されるかもしれないが、現実なら即刻現行犯だし、必要のあるシーンとは思えなかったし、普通に観ていてゾッとした。制作が1999年なのでそうした感覚がなかったのかもしれないが、あれは本当によくない。ロマンチックでもドキドキでもなんでもないです。純粋に加害である。

そして彼女を追って船を降りようとするものの、結局はタラップを渡りきらずにヴァージニアン号に戻った1900。

第二次世界大戦が終わり、ヴァージニアン号の爆破解体に際してマックスがなんとか1900のことを見つける。ここでの1900のセリフが「コーン吹き、船酔いか?」なの、ぐっと来てしまう。
そして船を降りて地上にいかなかった理由を語る1900。「タラップから地上を見たとき、終わりが見えなかった」。鍵盤は88と決まっているから無限の音色を弾けるが、鍵盤が無限ではどう弾けばいいのかわからない、と。

私は1900のこの心情を理解できるほど人生経験があるわけではないが、陸にある有象無象の可能性という名の鍵盤に圧倒されてしまったのだろうか、と思った。あの少女よりも美しい女性だってごろごろいるかもしれないし、そうすると彼が目印にしていた鍵盤があっというまにわからなくなってしまうのかもしれない。

そして1900の心情を理解したマックスは、彼に船を降りるよう強いることはしなかった。1900はヴァージニアン号と最期を共にした。


ここからは完全に蛇足であるが、『海の上のピアニスト』の1900とオペラ座の怪人は似ているなと思った。私がミュージカル『オペラ座の怪人』が好きすぎて万物をオペラ座の怪人と思ってしまう病気だからかもしれない。
ただの思いつきなので類似点をただ並べてみるが、
①存在する空間に縛りがある(ヴァージニアン号、パリ・オペラ座)
②音楽が好きであること
③想い人からインスピレーションを得ていること
④想い人と結ばれなかったこと
あとは渡したかったものを渡せなかったこと(1900はレコード、オペラ座の怪人は指輪を渡したけれど最後返されたこと)、実在が怪しまれ人づてでその存在が語られていること、など。以上。


午前十時の映画祭、本当は今年度は『地球防衛軍』を観て平田昭彦のかっこよさをn度目の確認し、『暗殺の森』を観てドミニク・サンダが当時19歳であったことを知り顎が外れ……などしているのだが、感想の出力が追いついていない。まずい。今日も『オッペンハイマー』観てきちゃったしな。どうしような。なんとかしたい。おわり。

*1:たぶん撮影現場は揺れてなんかなくて、マックスがよたよた歩く演技をして、物はガチャガチャ動かし、カメラを揺らして撮ったのではないかと思う。