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平均よりちょっとだけ多めに映画を観る人間の雑記

早川雪洲初主演作『颱風』を観た ―国立映画アーカイブ

国立映画アーカイブ(NFAJ)にはだいぶお世話になっている。
去年は東宝映画特集で『新しき土』の伊丹版を鑑賞して「うわファンク版と違う!」と盛り上がったし、『ゴジラ』で芹沢大助こと平田昭彦のカッコよさに気づいてしまった。

そんな中、NFAJにはいつもだいたい秋くらいに催している『サイレントシネマ・デイズ』なる特集がある。2021年は早川雪洲主演の『男一匹の意地』(Where Lights are Low)を上映しており、大はしゃぎで観に行った。なんなら当時受講していた映画系講義のコメントシートに「NFAJの『男一匹の意地』観に行きます!!!!! めっちゃ楽しみです!!!!!」と勢いのままに書きなぐった気がする。先生ごめんなさい。
毎年サイレント映画を取り扱ってくれるNFAJありがたいな、2023年は早川雪洲没後50年だしなにかやってくれないかな……と思っていたところに、こんなツイートを見つけた。

早川雪洲がキービジュアルなんだが!? 

おたくは「早川雪洲の没後50周年なんか企画あれ」と思った。
すると上映があった。おたくはその告知を見て良しと思った。

そんなことがあっていいのか。夢?
しかも「死ぬまでになんとか観たいな~」と思っていた早川雪洲作品のひとつの『颱風』である。うわーーーーー。脳内の情報処理が追いつかなくて思わずその場でくるくる回転してしまった。絶対初日に行こうと思っていたが社会人の務めに阻まれてしまった。どなたか館長説明の文字起こしください。

というわけで作品内容について、私の微妙な記憶力とともに感想を述べていこうと思う。以下ざっくりしたストーリー。

舞台はパリ。トコラモ博士(早川雪洲)はスパイであり、日本の国益のために日夜報告書を書き続けている。彼は踊り子のエレーヌと恋仲であり、周囲の日本人仲間(領事館の面々)には遊びの関係だと説明している。エレーヌはトコラモに熱中しており、婚約者のベルニスキーに別れを告げる。悲嘆に暮れたベルニスキーはトコラモの屋敷を訪れ、エレーヌがいかに不誠実であるかを訴える。衝撃を受けたトコラモはエレーヌを追い出そうとするが、「黄色いネズミ」「あんたの日本も地図の小さな黄色いシミ」と罵倒され、彼女を殺してしまう。トコラモは報告書を書き上げなければならないため、彼の代わりに日本からの留学生である弘成が罪を被って刑に処された。
警察がトコラモの屋敷に踏み入ったとき、トコラモは自責の念に駆られて息を引き取り、彼の報告書は領事館の人間の手で灰燼に帰していた。

さすが悲劇のハヤカワの初主演作なことだけあって救いが全くない筋書きである。

作品の冒頭、「インス」「會社」と日本語で記された幕が上がって登場人物たちが挨拶をする。『火の海』と同じ始まり方である。
『火の海』も『颱風』も監督はトーマス・インスではなくレジナルド・バーカーでは? と思ったが、そもそもバーカーはインスの下で働いていたらしい(ちなみに『火の海』は製作総指揮がインス)。そんなわけでインスの文字があるらしい。早川雪洲に映画界入りを打診したのもインスだしな。

最初の方に紋付袴や人力車が登場するものの、意外にも日本人たちは洋装で登場する。けっこう自然だなと思いつつ観ていたものの、途中で突如としてトコラモの屋敷に日本領事館の面々がぞろぞろと現れる(彼らはいつも集団で動いている。仲良しだね)。曰く、「端午の節句のお祝いをしよう」。
洋風屋敷の床にぺらぺらの座布団を敷き、やかんを置き、ついでに棚を開けて仏像を出し、提灯をぶらさげ、洋装の上に着物らしき上着を着て座る。急にエキゾチックポイントを稼いでくるな。伴奏もこいのぼりを弾いていた。突然の展開に微妙な笑い声が聞こえる客席。このお祝いはエレーヌのサプライズ登場でぶち壊しになる。
日本人観客としてはこの場面でだいぶオモシロになってしまったがいいのだろうか。まあロミオとジュリエットもマキューシオが死ぬまではなんだかんだ喜劇チックと聞いたしな……。

事前にTwitterでこの作品の感想を見ていた中で、「話の筋がわかりにくい」というものをちらほら見かけた。果たして……と思いながら観に行ったが、なるほどややこしいかもしれない。①弘成、②トコラモ、③エレーヌ、④領事館(場合によってはベルニスキーも)の間でけっこう頻繁に視点が動くので、今誰がどうなっているのかを覚えている必要がある。それに加え、時系列の把握が難しく感じた。視点が動いたはいいが、たとえば「この領事館の面々の場面は、さっきのトコラモとエレーヌの場面の後? それとも同時並行に起きてる?」と考えることもままあった。もうちょっと軸にする人物を絞れたような気がしないでもない。
もともと『颱風』は舞台作品らしいが、そちらではどのような演出だったのだろう。トコラモの屋敷に場面を絞った密室劇でもよかったのでは……など勝手に考えてみる。今度調べよう。

それから最後、トコラモが本当に突然死んだ。なんで? 平安時代の人?(私は平安時代の人はすぐ物思いで死ぬと思っている。壬生忠見に謝れ)
私が見逃したのか何なのかわからないが、拳銃で頭を打ったり腹を切ったりする素振りもなく気づいたらトコラモが死んでいた。エレーヌを殺してしまった後、トコラモは輪をかけて沈痛な面持ちであったし、いつも報告書を書いていた机に突っ伏していたのだが、にしても気づいたら死んでいた。途中までエレーヌの女友達が気つけの酒を飲ませて介抱していたのに。カメラが捉えていない間になにかあったという設定なのか、それとも本当に良心の呵責で死んでしまったのか、唐突にThe Endになった。解釈が難しすぎる。

……と、つらつら書いてきたが、私にしては真面目に作品について感想を述べたと思うので、早川雪洲の話をする。

やっぱり顔がうつくしい。職務の重圧なのか、あまりに熱烈な恋人への愛憎なのか、いつもどこか僅かに眉根を寄せた憂いのある表情の早川雪洲が素敵だった。彼の容貌を形容するのに「broodingly」という言葉をしばしば見かけるが、なるほど陰のある美しさである。

そして今作の演技はかなりサイレント映画っぽい感じだと思った(平たく言うと大仰だと思った)。特にベルニスキーからエレーヌの不誠実さについて聞く場面、エレーヌに対して激昂する場面は『チート』などと比べるとかなり腕のこわばりや身振りが目立った気がする。なぜだかはわからない。彼の演技は「腹芸」と表現されることが多いが、まだその境地に辿り着く前だったのかもしれない。全部憶測です。
天を仰ぐ動作を数度していたが、あれは大仰でもなく目線の動きと表情から滲み出るやるせなさが良いと思った。

そんなわけで、今年のサイレントシネマ・デイズの早川雪洲作品も存分に楽しめたのでした! 国立映画アーカイブに大感謝! これからもお世話になります!
ところであのキービジュアルの場面、エレーヌと女友達がトコラモの屋敷に来ていることにトコラモが気づくシーンだったんだな。ほんの数秒だけどすごく画になるショットだなーと思った。おわり。