次回プログラム②
— 神戸映画資料館 (@kobeplanet) September 11, 2023
【国立映画アーカイブ所蔵 外国無声映画傑作選 vol.3】
9月16日(土)13:30〜
鶴子と雪洲 知られざるアジアンスーパースター
『おミミさん』『末裔』『蛟龍を描く人』
伴奏:鳥飼りょう トーク:板倉史明+いいをじゅんこhttps://t.co/Aneb0rBlX8
完全に早川雪洲の映画を観るためだけに神戸に来た人になってしまった。他ジャンルで遠征したときもそんなもんだったのでオタクあるあるなのかもしれない。
おミミさん
以下、私の微妙な記憶力によるストーリーの要約です。
将軍の息子ヨロトモ(早川雪洲)は首相の娘と婚約している。ヨロトモへの嫉妬を抱く弟トゴワワは家臣に唆され、叛逆を企てる。ヨロトモは難を逃れるため、平民に身をやつす。彼は逃れた先でおミミさん(青木鶴子)と出会い、惹かれ合う。
トゴワワは捕らえられ、牢獄の中で切腹して果てる。
かねてより小康状態だった将軍は病に倒れ、死去。ヨロトモは呼び戻されることとなり、おミミさんに「君のことは永遠に忘れない」と告げて別れる。1年後、首相の娘と結婚したヨロトモはおミミさんとの記憶に思いを馳せるのだった。
ヨロトモとかトゴワワってどういう名前!? と思うが、ひょっとするとヨロトモは源頼朝が元ネタだろうか。トゴワワは本気でわからん。忠臣として登場するオワリは尾張かもしれない。将軍と首相が両立する世界、徳川と諸大名による連合政権が成立した場合のパラレル明治時代?
ちなみに、この作品は映画『カツベン!』で成河演じる映写技師のフィルムの切れ端コレクションに登場する。当時『カツベン!』を観た私は「私もおミミさん観たことないのに! うらやましい!」と騒いで映画館を破壊し、牢獄で切腹を命じられた。嘘です。やっと観る機会があってよかった。NFAJがまさか所蔵しているとは知らなかった。
あとトゴワワを唆す家臣がおそらくはイエローフェイスなキャスティングでやや驚いた。もう少し時代を経たときに撮っていたら、きっとヨロトモとおミミさんがイエローフェイス、悪役の家臣にアジア系という配役になっていた気がする(リメンバー、『大地』のキャスティング問題)。
でも改めて考えたらインス映画の早川雪洲、だいたい死ぬかつらい目に遭ってるのでそれはそうか(?)
末裔
あるネイティブアメリカンの部族では、白人の学校で学んだ酋長の息子・ティア(早川雪洲)の帰還を待ちわびていた。戻ってきたティアは酒浸りで素行も悪く、すっかり堕落してしまっていた。部族では白人の身の安全を保証すると約束を結んだものの、ティアの方はならず者たちと組んで白人を襲うことを計画していた。酋長は白人の加勢に向かい、遠くからティアを撃ち殺す。息子の死をせめて名誉のあるものにしようと、彼の亡骸を白人の死体の傍に置く。ティアは英雄として手厚く葬られた。
鐙も鞍も無しで馬に乗れる人間、体幹が強すぎると思う。よく振り落とされないな。途中で片手乗りしているシーンもあったし、早川雪洲はぜったいに乗馬ポテンシャルあると思う。彼に関するフランスの新聞記事の記述で、彼の趣味のひとつに乗馬が挙げられていた気がする。早川雪洲は活劇の路線でも輝けたんじゃないだろうか。
蛟龍を描く人
人々はタツを風変わりで野蛮だと見なしていたが、測量技師のウチダが彼の絵の才能に気づき、後継者不在に悩むカノウインドラの元へ連れていく。タツはインドラの娘・ウメコ(青木鶴子)に一目惚れし、彼女こそが"竜の姫"だと確信する。インドラはタツの才能を認めて後継者に指名し、ウメコと結婚させる。タツは絶望に打ちひしがれたが、しばらく経ったある日、かつての才能を取り戻す。白人相手の展覧会でも高く評価され、画家としての成功を収める。
『鶴子と雪洲』の中で著者の方が「『蛟龍を描く人』を観てサイレント映画の魅力に気づいた」という記述をされていた。正直最初にそれを読んだときあまりピンと来ていなかったが、今ならわかる。『蛟龍を描く人』、名作です。
原作があるという要因もあろうが、まず脚本がいいなと思った。行動の動機や各々の考えていることがちゃんとわかるし、それがしっかり話の展開を生み出していることがわかる。いや原作云々ではなく純粋に映画という芸術の成熟過程なのかもしれない。わからん。
それからアフタートークでも話があったが、フィルムの状態がいい。
ちゃんと映画館のスクリーンであんなにきれいな映像で観られて感動した。青木鶴子の浮かべる涙までちゃんと見えてよかった。「こんなにも細かく表情の演技してたんだ」という気づきがあった。すげ~~~~(語彙の死亡)
他に思ったこと
・早川雪洲が演じる役の欧米社会における立ち位置について
雪洲と同時期に活躍したアンナ・メイ・ウォンは中国系3世だが、彼女が演じたのも雪洲と似たタイプかも、と思う(私の調べが足りないのもあると思うが、帰化したような役で見かけた覚えがあんまりない。フー・マンチューの娘を演じた『龍の娘』は2世ではあるが……という感じ)。やはり当時のアメリカ社会でアジア系は「異分子」みたいなイメージが強かったんだろうか。なんとなく思ったことを書いているが、サイレント映画におけるアジア系2世以降の表象とかちゃんと調べたら面白いかもしれない。
・早川雪洲の(主にトーキーでの)扱いにくさ
マチネー・アイドルとして一世を風靡していた頃は留学生・王子・ネイティブアメリカンの酋長の息子・画家・将軍の息子・暗黒街の若者……となんでもござれなイメージがある。が、トーキーのあたりになると軍人か刑事(『東京暗黒街・竹の家』)あたりに集約される気がする。威厳と地位のある役というところだろうか。
また声……というより語学についてになるが、以前早川雪洲の英語については記事を書いた。
ようは「発音が綺麗とはいえない」というのが私の感覚である。かの『チート』の改作『Forfaiture』や『戦場にかける橋』を観ていて、「雪洲のセリフ少なくない?」と思ったことがある。特に『戦場にかける橋』は以前テレビで放映されているのを後半くらいから見始め、雪洲が出ているのに喋らない場面の多さに驚いた(私が観た時点からは一言しか話さなかった)。『東京暗黒街・竹の家』では完全に吹き替えられていた。『緑の館』では先住民の酋長であり、英語ではない現地語のセリフのみだった。ひょっとすると何らかの配慮が働いているのでは……と思ったりもする。*1
また、早川雪洲についてはギャラがべらぼうに高かったようなので、よけいに出しづらかったのでは、と思う。
まとめ
映画館の設備と素晴らしい生演奏でこんなにも作品の魅力が発揮されるものなんだ、と再認識。サイレント映画の上映会にはもっとフットワーク軽く行こうと思った。100年前の人々がうらやましい。
アフタートークでもいろんな話が聞けてとっても勉強になった。過去映画の上映というと私は今まで国立映画アーカイブのものしか足を運んだことがなく、今回もそのイメージでやってきたのだが、予想以上に観客と話者の距離が近くて驚きだった。心の準備をしておくべきだった。挙手された方々の話も「そんな深い分析が……!」と驚いたり、「たしかにそれ気になる」と気付かされたり、とにかく刺激を受けた。メアリー・フェノロサの原作を読むこと、青木瓢斎についてもっと調べることが当面の私のやりたいことである。
*1:こうした忖度もどきを感じなかった作品もあり、『三人帰る』や『戦場よ永遠に』、『東京ジョー』あたりは本人が他の俳優や登場頻度と極端に変わらないセリフ量だったと思う