郵便配達はベルを鳴らさない

平均よりちょっとだけ多めに映画を観る人間の雑記

早川雪洲の命日に千倉へ行った

11月23日はなんの日?
そう、全国民がこう答えるでありましょう。
日本人ハリウッドスター・早川雪洲の命日であると……。
今日って早川雪洲の命日だから祝日なんですよね。なんかよくわからん理由つけて誕生日(6月10日)も祝日にしませんか?

妄言はさておき、早川雪洲は1973年11月23日にその生涯を閉じた。
つまり今年の命日は正真正銘の没後50年である。ちょうど節目であるし、早川雪洲の出身地である千倉には前々から行ってみたかった。乗るしかないこのビッグウェーブ

ということで、私は公共交通機関を駆使し、気づけばJR千倉駅に降り立っていた。

千倉駅と早川雪洲の自伝

まず「千倉ってどこ?」という話だが、千葉県南房総市に位置する。チーバくんの土踏まずのあたりである。内房線を無限に乗っていると辿り着ける。

何があるのかもちゃんと把握しないまま勢いだけで降り立っただけに「どうしよ~~」とクソデカ独り言を発しながら駅前をウロウロ。調べてから行けよ。

バスの時刻表を見ても本数が少なく、そもそも頼みの綱であるGoogleマップがバス路線の存在を認知してなさそうだったので利用を諦めた。
事前に「観光案内所で自転車を貸してもらえる」という話を聞いていたのでさっそく向かう。電動アシスト自転車の1日利用(17時まで)で1,000円とのこと。ついでに堤防のアート作品の場所を教えていただき、自転車を借りる。

堤防のアートはこれのことです↓

www.tokyo-np.co.jp

そんなわけで超久々にチャリを漕ぐ。どうやら目的地まで片道6kmあるらしい。ひょえ~。しかしわざわざここまで来て何もせず帰るわけにはいかない。命日だし。没後50年だし。電動アシストの強弱を一番強くして出発した。

しかし当然チャリで爆走している人間なんかいない。路面の状態もなかなかスリリングな箇所もあり、ボコボコすぎて空中一回転をキメないか心配になった。お前は007にでも出てるつもりなのか? 結果として、車! 車車車! バイクの集団! 車! 突如現れるナメた格好でチャリ爆漕ぎの私! 車! 車車車! みたいなオモシロ風景を爆誕させてしまった。車があるなら車で来るに越したことはない。

体力なさすぎてヒーヒー言いながらチャリを漕ぎ続け、たまに道を確認し、カバンを砂浜にぶちまけ、Googleマップ神のお告げでは20分で着くはずのところを50分かけてやっと早川雪洲肖像画にエンカウントした。

それぞれ1930年代の早川雪洲と、彼の出世作である『チート』のワンシーンを描いたものらしい。写真のような精緻さ。私の家の近所にも早川雪洲の壁画、描いていただけませんか?(だめです)

早川雪洲の壁画を見て満足したあと、せっかくなので道の駅に自転車を停め、雪洲の暮らしていたであろう千倉町千田のあたりを散策してみることにした。

高塚不動尊にあった看板

ふらふらと歩いていると高塚不動尊にたどり着く。看板のフレーズに誘われるまま「早川雪洲と同じ景色、見るか~」と歩を進めるも、進んだ先に「わな注意」の表示が。
どうしよう、よくわからんけど不審者としてわなに引っかかるかもしれん、という懸念が頭をよぎりリターンを決め込んだ。代わりにその場から見える景色を撮ってなんとなくお茶を濁す

あまりよく考えていなかったが、なぜか電柱がセンターになってしまった写真

ここからでも十分海がいい感じに見える。あの海が太平洋か。ここで雪洲も渡米を決意したのか。これ見てる方向ってちゃんとアメリカなのかな。若干ズレててブラジルとかの方向だったらどうしよう。と思考が脇道にそれまくったのでその場をあとにした。あと高塚不動尊にお賽銭を投げた。

孤独のグルメとかに出てきそうな雰囲気の店で腹ごしらえ

せっかく海の町に来たので刺身盛り合わせ定食を食べる。少食なたちなのだが、チャリ爆走と新鮮な海の幸のおかげで無事に完食。

道の駅で買い物をし、千倉駅へ再びチャリを走らせる。今度は道もわかるし余裕が出てきて、通行人がいないのをいいことにオペラ座の怪人を口ずさみながらチャリを漕ぐ。なんで?

なんだかんだ3時間ほど千倉をエンジョイし、無事に駅に戻る。時間配分を勘違いしていたので40分ほど電車待ちの時間が発生した。そんなこともある。
ようやっと電車が来るアナウンスが聞こえてくる。「2両編成で参ります」にマジで? と思った。

マジだった。かわいいサイズ感である。電車のドアもボタンを押さないと開かない。ちょっと新鮮だった。

というわけでとりとめのない文章になったが、早川雪洲の出身地に行ったという話でした。
なんというかすごく海との距離が近い町に思えた。物理的にもそうだけど、ふと海沿いの防波堤に腰を掛けてぼんやり地平線を眺めている人がいたり、その辺の道端で海に釣り糸を垂らしている人がいたり。本人がそう希望したのか親がそうさせたのか比重は分からないが、環境として雪洲が海軍志望になるのもわかる気がした。海とさほど関わりのない場所で育った私には諸々新鮮でした。

早川雪洲没後50年ということで千倉に足を運んだが、次はどうしようかな。そのうちアメリカにも行きたいのだが、一体いつのことになるだろう。いつかは知らないけど、行ったらたぶん記事にします。おしまい。