郵便配達はベルを鳴らさない

平均よりちょっとだけ多めに映画を観る人間の雑記

正気を犠牲にしたオデュッセウス 『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』感想

ちょうど一年前の今頃、私はオリバー・マスッチなる俳優に熱を上げていた。
詳細は以下である。

tochterdeskino.hatenablog.com

さて、このときに私はオタクの嗜みとして彼のInstagramの投稿を片っ端からチェックしたのだが、なんだか面白そうな主演作を見かけた。タイトルは『Schachnovelle』、直訳すると「チェスの話」である。

どうやらナチスが不穏な影を落とし始めた頃の話らしい。
この投稿を見つけたのが2022年。この投稿がされ、どうやら欧州で公開されたのが2021年。日本では公開してよ~~~! と家で地団駄を踏み、その衝撃で居住地区を破壊し、私は家庭を放逐された。嘘です。

それからさらに一年、居間で家族団欒を過ごしている最中、傍らで父親が読む新聞にふと目を落とした。なんだ今日もテレビは2時間スペシャルばっかりじゃん。おお映画の広告が――と、視界に飛び込んできたのは『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』の文字だった。
うわ、Schachnovelleだ! この映画日本で上映するんだ! ひとしきり小躍りしたしばらく後、私は映画館にすっ飛んでいった。上映権買った会社ありがとう。どこだか知らんけど。

というわけで以下ネタバレ有りの感想です。

ロッテルダム港を出発し、アメリカへと向かう豪華客船。ヨーゼフ・バルトークは久しぶりに再会した妻と船に乗り込む。かつてウィーンで公証人を務めていたバルトークは、ヒトラー率いるドイツがオーストリアを併合した時にナチスに連行され、彼が管理する貴族の莫大な資産の預金番号を教えろと迫られた。それを拒絶したバルトークは、ホテルに監禁されるという過去を抱えていた。船内ではチェスの大会が開かれ、世界王者が船の乗客全員と戦っていた。船のオーナーにアドバイスを与え、引き分けまで持ち込んだバルトークは、彼から王者との一騎打ちを依頼される。バルトークがチェスに強いのは、監禁中に書物を求めるも無視され、監視の目を潜り抜け盗んだ1冊の本がチェスのルールブックだったのだ。仕方なく熟読を重ねた結果、すべての手を暗唱できるまでになった。その後、バルトークは、どうやってナチスの手から逃れたのか? 王者との白熱の試合の行方と共に、衝撃の真実が明かされる──。
映画『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』公式サイト

まずSNSでもちらほら見かけた感想ではあるが、「別にナチスにチェスゲームは仕掛けていない」というところがある。てっきりチェスプレイヤーの役なのかと思っていた時期が私にもありました。そんなことはない。平たく言うと弁護士である。彼がナチスによる監禁生活で拠り所にしていたのがチェスの教本というわけだ。
この作品では、①彼がナチスに監禁されて解放されるまでの時間軸と、②解放された後に乗り込んだ船での時間軸が交互に展開される。

もともと主人公のバルトークは裕福な暮らしをしていたし、教養人でもあった。冒頭の場面では彼がゲーテを引用し、「本の読みすぎでは」と反応されると、彼は本というのは「精神の栄養」であると答えた。おそらく頭も抜群にいい。パーティの夜、ナチスオーストリア併合が間近であることを友人に知らされ、急いでオフィスに向かった彼は、彼が管理するオーストリア貴族の口座の認証番号が記された書類を暖炉に焚べる(このとき流れているラジオ放送の『白鳥の湖』中継とそれを中断しての墺首相の声明放送も良い)。その際に数字と銀行名を指で辿っていた。覚えられるのかそれ。すごい。
さて彼がナチスに連行され、認証番号を教えることを拒否したために、『特別処理』なるものが課せられた。それは拷問でも暴行でもなく、ホテルの一室への監禁であった。私物は服以外のすべて取り上げられ、読むものも書くものも一切ない。食事を渡しに来る見張りも一切喋らない。時折聞こえるのはどこからか響いてくるアップテンポなレコードと悲鳴だけ。精神的に限界へ追いやるのがナチスの目論見らしい。
本を「精神の栄養」と表現していたバルトークは日に日に追いつめられていく。勝手に「エーリヒ」と名前をつけた見張り兵に「何か読むものをくれ」と訴えても当然反応はない。窓の外を眺めて『オデュッセイア』の一節を唱えるくらいしかできることはない。
そんなある日、彼はホテルの廊下に出る機会を得た。フロアではナチスの人間たちが本を集めて「ハイネは燃やしていいわ」などと処分を検討している(ハイネはユダヤ人だったな。皇后エリザベートが聞いたら烈火の如く怒り出しそうな発言である)。そこで、バルトークと同じく『特別処理』の対象だったであろう男が絶望のあまりか窓から身を投げる。現場が騒然となっている隙に、バルトークは本の山から一冊引き抜き、懐へ隠した。
が、部屋へ戻って中身を確かめるとそれはチェスのルールブックだった。「マックス・フォン・ルーヴェン」なんてグランドマスターの名前も載っている。チェスを「プロイセンの退屈な将校がする遊び」と称していたバルトークは絶望するものの、読み始めてルールを理解するとチェスにのめり込むようになる。認証番号を教えなければホテルからは出られないと告げられても、「ここは一流のホテルだよ、気に入った」なんて返せるほど、チェスは彼にとって心の支えとなった。
ただそれも長くは続かない。バルトークの部屋に置かれていたルールブックの存在や、支給されるパンで作っていた駒の存在が発覚してしまう。今までナチスに対して臆することなく振る舞ってきたのに、「私の本じゃない」「頼む、見逃してくれ」「私の本だ」と涙して懇願するバルトークの弱々しさよ……。眉をひそめて「お前の尊厳はどこへ行った?」と言い放つナチスの調査官。おまえが尊厳破壊したんじゃろがい。それからバルトークはより環境の劣悪な別室へ連れて行かれ、気の狂うような日々を過ごす。
やがてふたたび、ナチスの調査官が彼に口座の認証番号を書くように促す。彼は一心不乱に数字とアルファベットを綴っていく。だがしかしそれは、チェスの棋譜だった。調査官はバルトークが完全に狂ってしまったことを察し、彼を釈放することにした。
バルトークはホテルのフロントで必要書類にサインする。「マックス・フォン・ルーヴェン」と……。

えらく長々と①の時間軸について書いてしまったが、文化・娯楽・教養といったものの重みを改めて感じた。人間は極限状態にいるとき、縋れるものを探す。バルトークナチスにこそ勝利したものの、その代償はあまりにも大きすぎた。

そして私はクソ余計なお世話ということは重々承知ながら、オリバー・マスッチこれ演じて寿命ゴリゴリに削れたりしない? 大丈夫? と思った。序盤のウィーン社交界を楽しみ「ウィーンが踊る限り大丈夫さ」と嘯くバルトークと、解放された後に客船に乗り込む姿の落差に衝撃を受けたし、いざ時間軸をそれぞれ追って行って、その"落差"という溝がなめらかな過程で埋まったとき、うわあ、という気持ちしか出てこなかった。
そして冒頭のオリバー・マスッチの衰弱した演技に気を取られていたら、実はそのとき同席していた奥さんが主人公の幻覚だったというの恐ろしすぎる。映画は基本的にバルトークの脳内を観せられている感じなので(時間軸が交錯するし幻覚もある)、一体どこまでが本当なのかよくわからない。世界王者が持っていた腕時計はけっきょく誰のものだったんだろう。良い映画だったと思います。

追記

私は②の時間軸(客船)を実際に起こったことだと解釈していたのだけれど、さまざまなところで作品の感想を見ていると②が主人公の妄想だと考えている人が多かった。ので、調べてみたら監督のインタビュー(英文)が出てきた。

moveablefest.comこれによると、②は現実世界の話ではないらしい。マジか。
てっきり第三者的な視点で(つまりは客観的に)バルトークが正気を失っていることがわかる描写がある(妻の悲鳴が……といってカモメを助けに行く、妻は妄想だったと判明する、独房かと思いきや船の客室、オデュッセウスが云々とぶち上げて周りの客に怪訝そうに見られる)ので、現実の出来事だと判断していた。それからバルトーク本人が自分をグランドマスターであるマックス・フォン・ルーヴェンだと思い込んだ妄想ならば、「駒に触ったのはこれが初めて」という発言も出てきづらい気もする(ルーヴェンがどのような経歴でチェスをやっていたのかは不明だが、全く駒に触らないことはあまりないような)。

逆に妄想であるといわれてもわかる気がしないでもない。世界王者ミルコはナチスの調査官と同じ俳優が演じていたらしい(気づかなかった)。
そして船の所有者に世界王者との一騎打ちをオファーされたときの「(負けたとしても)失うものはなにもないだろう?」に対するバルトークの「Mehr als Sie sich  vorstellen können.」というセリフの重さを今になって理解する。「君の想像以上にあるさ」くらいの意味だと思うのだが、確かに②の時間軸のバルトークが負けたところで失うものはないが、①のバルトークが負けたら口座の認証番号をナチスに明け渡すことになる。

いや妄想だったらいつどのタイミングで主人公が練った話なんだよ、ホテル出た後? でもそれぞれの時間軸が交錯する場面の同時性は失われるのでは? 時間経過とともに練ってる話なら映画におけるそれぞれの世界線が登場する順序おかしくない(最初に②の乗船の場面が来たあとに①の日常生活の描写が来るので、①で監禁されたあとに②始まる形じゃないとおかしくない)? と一生考え続けていた。

私の納得の行く解釈としては「②の時間軸は現実ではなく(かといって主人公が自発的に練った妄想でもなく)、①で主人公の置かれた状況を客船でのチェスゲームになぞらえた並行世界」かなと思った。主人公の潜在意識の世界というか。ハリポタ死の秘宝Part2でハリーがアバダケダブラされたあとに居た謎空間世界みたいな。やっと言語化できた。えらく長い文章になってしまった。そう考えると、「ナチスとの精神的な攻防をチェスゲームに仮託している」という点では邦題の意味もなんとなくわかるような。


まったく話が逸れるが、私の大好きな友人は気が塞ぐときに梶井基次郎の『檸檬』の一節を唱えて平静を取り戻すそうだ。私もなにかお守りの文学が欲しいと思っていたのだが、この作品を観た帰りに本屋に立ち寄り、『オデュッセイア』を購入した。

ムーサよ、わたくしにかの男の話をしてくだされ。トロイエの聖なる城を屠った後、ここかしこと流浪の旅に明け暮れた、かの機略縦横なる男の物語を。(中略)己が命を守り、僚友たちの帰国を念じつつ海上をさまよい、あまたの苦悩をその胸中に味わったが、必死の願いも虚しく僚友たちを救うことはできなかった。*1

 

*1:ホメロスオデュッセイア(上)』松平千秋訳、岩波文庫、1994年、p11