郵便配達はベルを鳴らさない

平均よりちょっとだけ多めに映画を観る人間の雑記

韓国ミュージカル版『ファントム』を観た

このブログでは主に映画とか早川雪洲の話をしてきたが、今回は少しばかり毛色を変えて、ミュージカルの話をしようと思う。
とはいっても映画館で観てきたので広義で言えば映画かもしれない。謎理論。

 

さて、私は『オペラ座の怪人』が大好きである。
はじまりは小学生の頃、金曜ロードショーで2004年映画の吹替版を途中まで観たこと*1。なぜなら翌日が土曜授業だったからである。かなしい。
その後、時は流れ、たまたま高校のクラスメイトが2004年映画版が好きで、DVDを持っているとのことだったので借りた。無事にのめり込んだ。近所で劇団四季が公演をやると言うので、そのクラスメイトと一緒に観に行った。私だけそのまま、真っ逆さまにハマってしまった。
気づいたらロンドンに行っていた。気づいたら東京にも居た。大阪にも居た。横浜にも居た。『ラブ・ネバー・ダイ』も通い倒した*2。私は自らの信仰を問われたら「『オペラ座の怪人』……、ですかね……」と答えると思う。

そんなわけで私はアンドリュー・ロイド・ウェバーの作った『オペラ座の怪人』に魂を売っているオタクである。
しかしながら(オペラ座の怪人好きの諸兄には釈迦に説法ではあるが)、ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』を基にしたミュージカルって、大きく3種類あんねん。

  1. ケン・ヒル
    最も原作準拠。たまに来日公演をしている。
  2. アンドリュー・ロイド・ウェバー(ALW)版
    最も知名度が高いと思われる。ウエストエンドやブロードウェイ(かつて)で上演されていた版。劇団四季もこちら。
  3. コピット版
    怪人(ファントム)の出自や、ヒロインであるクリスティーヌとの出会いに焦点を当てたストーリー。宝塚や城田優演出版など。

今回感想を書くのは……③コピット版の韓国公演の映像を鑑賞した感想です! 前置きが長い!

ちなみに私は残念ながらコピット版を舞台で観劇したことは……ないです! チケットが取れなかったり私生活が忙しかったりでなかなかご縁が無い。
一方で円盤は持っており、1990年ドラマ版(チャールズ・ダンスとテリー・ポロのやつ)と雪組ファントム(望海風斗・真彩希帆コンビ)については何度も観ている。城田優演出版の円盤は所持していないが、友人と上映会をして一度観せてもらった(加藤和樹エリックと愛希れいかクリスティーヌのほう)。
というわけで「コピット版のストーリーは理解している。コピット版の中での各バージョンの細かな違いまでは踏み込んで把握・記憶できていない」「ALW版に馴染みがあるので、そちらとの差異も理解している」というような状態で鑑賞した。
私がこれから書く感想の中で、ALW版を引用・言及する場合もあると思うが、あくまで解釈のとっかかりとして言及するだけであり、優劣をつけたいとかそういう意図は全くありません。どっちも好きです。よろしくお願いします。

 

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19世紀末のパリ、オペラ座。醜い顔を仮面で隠し、地下に潜む青年、エリックは、“ファントム”と呼ばれ恐れられていた。ある日、歌手を夢見るクリスティーヌの歌を偶然聞いたエリックは亡き母の姿を彼女に重ね、密かに個人レッスンをするように。次第に才能を開花させオペラ座での大役を任されるクリスティーヌ。そんな彼女にオペラ座パトロン、シャンドン伯爵は愛の告白をするのだが、プリマドンナの嫉妬と陰謀で思わぬ悲劇が人々を襲う。

ファントム - LINEUP|『韓国ミュージカル ON SCREEN』公式サイト

 

以下、ネタバレ含めて感想を書いていきます! ざっくり時系列。
まとまりは、本当にないです。思いついたままに書き散らかしています。

 

来場者特典でいただきました

今のうちに「いつも思うこと」(しかし改めて文字数を割いてツッコミをするのも野暮に思われること)をまとめて書き記しておきます。

  • キャリエールは既婚者なら……いろいろ、ちゃんとしよう!
  • エリックは仮面に隠れていない部分がそんなにカッコいいなら大丈夫です*3

以上、真面目な感想に入ります。

 

1幕

舞台背景はがっつり映像を使っていました。クリスティーヌの髪型が前髪あり+ハーフアップ風で、ちょっと現代っぽさもありつつ可愛い。
ニコニコ歌いながら楽譜を売る姿、完全にディズニープリンセスのそれ。そのうち小動物が寄ってきて一緒に歌い出しそう……と思ったらシャンドン伯爵がやってきた。
クリスティーヌ役の方(イム・ソンヘ)、すこしお姉さんに見える……? と思ったので帰ってから調べたところ、キャリアを積んでいらっしゃるソプラノ歌手の方だそうです。ど、道理でこの美しい歌声……!

一方でファントム、ことエリック。彼の領域である地下のシーンは緑色っぽい照明で演出されているようです。ディズニーっぽいな……(ディズニーの悪役は緑とか紫のカラーリングが多いと勝手に思っている顔)
そしてエリックは仮面専用キャビネットのようなものを持っている。羽を広げた鳥のようなデザインのものもあれば、ミュシャの『女王メディア』のポスターの髪飾りのようなもの、黒い仮面などもある。
これ、他のコピット版のエリックもそうですよね? なんだろう、オペラ座の舞台衣装や小道具から拝借しているんだろうか。お洒落さんなのか?

文化大臣にお金を積んでオペラ座の支配人に収まるアラン・ショレと、その妻のカルロッタ。
ふたりとも端的に言えば「いやなやつ」ではあるのだが、夫婦仲は良くてかわいい。舞台に上がる直前の「ファイティン!」のくだりが可愛くて大好きです。このふたりはオペラ座から隔離して仲良く暮らしているのを眺めていたい。エリックやクリスティーヌに危害を及ぼさなければ可愛いんだよな~~~~!
ショレとキャリエールが支配人室で話している最中、部屋の戸棚の上にあった石膏の胸像が静かにくるくる回っていて笑った。1990年ドラマ版よろしく落ちてこなくて良かった。

地下でエリックとキャリエールが話すシーン。キャリエールがエリックに対して話す台詞が全部敬語で字幕がついていて、個人的には少し違和感。もともとの韓国語の台詞がそうなのかもしれないし、あるいは私が「キャリエールはエリックの父親」というのを知ったうえで観ているからそう思うのかもしれない。
あと私は韓国語の素養が全くないのだが、「なんだ? あの声は。僕の顔よりもひどいぞ」「新しい支配人の妻のカルロッタだ」というやりとりのとき、エリックがオーマイゴッド……って言いました? そこ英語なんだ、と思ってちょっと面白かった*4

そして、シャンドン伯爵の名刺片手にオペラ座を訪れ、衣装係になり、歌いながら仕事に励むクリスティーヌ。やっぱりディズニープリンセスかもしれない。その歌声に惹かれるエリック。クリスティーヌが纏うショールの動きとエリックのマントの動きがリンクする演出、いいな……! と思いながら観ていました。
勇気を出して話しかけるエリック。初手が「僕は君のファンで……」は怖いだろ! と思いつつ、なかなかがんばっているのではないでしょうか……!

正直このエリックとクリスティーヌ、だいぶ幸せに結ばれる確率は高かっただろと観ている最中からずっと思っています! これを書いている今もずっと思っています! なんだ!? 我々はどこかで分岐を間違ってあの結末を引いてしまったんですか!? エリックとクリスティーヌのピクニックENDはどこにあるんですか!?

『You Are Music』の場面を私は今まで「エリックとクリスティーヌの美しいデュエットの場面」という認識でいたのですが、今回のこの韓国公演版は、さらに踏み込んできたような気がしました。どうだろう。今までに他のバージョンを観た私の記憶が霞んでいるだけかもしれません。
今回映画館で観ていて、「え、これ、今……キスするんですか?」とこちらが動揺するくらい顔が近い数秒間、「何? だ、抱きしめたり、するんですか?」と心がざわつく数瞬……のようなものが何度かあり、私は良い意味でいたく困惑しました。
ふとクリスティーヌと近づいた瞬間に、エリックがはっとしてレッスンに意識を戻す、というような流れに……こう……この余白とあわいの美しさに心をつかまれる私と、「いやここでキスできたらエリックとクリスティーヌのハッピーエンドでいいだろ!」と叫ぶ私が居ました。落ち着け。
なんというか、ALW版の『The Music of the Night』をデュエットにしたらこうなるのかな……などと思いました。これ以上に上手い表現が思いつかない。
でもこの『You Are Music』の寄せては返す波のような美しい音色、繊細に重なり合うエリックとクリスティーヌの歌声って唯一無二ですよね、本当に。

ちなみにエリックとクリスティーヌが歌のレッスンをしている最中、阿鼻叫喚のカルロッタが出ているのは、『アイーダ』(カツラに虫)、『椿姫』(お盆にグラスが接着)。
コピット版、1幕のエリックはわりとカルロッタへの嫌がらせが穏健派ですよね。それだけに後々のカルロッタの所業がなかなかえげつなく見えるわけですが……。

ビストロのシーン。お久しぶりのシャンドン伯爵。ガールズたちに囲まれつつ、完全に「心ここにあらず」感が凄まじい。
そして現れるクリスティーヌ。ピンクのドレスがかわいらしい。やっぱり彼女のドレスを用意したのって、1990年ドラマ版と同じ方式で行くとエリックなんですかね。気になる。
このビストロのシーン……実際に現地観劇していたとしたら、絶対にオペラグラスでどこを観るか迷うだろうな~~と思った。まずクリスティーヌは観たい。クリスティーヌの歌を聴いたカルロッタのリアクションも観たい。
そして……エリックがいる! 舞台映像なのでちゃんとエリックもピンポイントで写してくれており気づけたのだが、おそらく私の注意力では確実に初回観劇でエリックの存在に気づかない。シャンドン伯爵とクリスティーヌが手を取り合って踊っている瞬間のエリックの表情とか見たすぎる。見たい。
ちなみに、エリックのレッスンのことを当然知らないシャンドン伯爵が、クリスティーヌに対して「君はレッスンなんかしなくても素晴らしい歌声だ」というようなことを言うの、つらいね……。

ビストロで大成功を収めたクリスティーヌと、彼女を送り届けるシャンドン伯爵。ビストロはオペラ座の向かい……という台詞があった気がするのだが、その距離でも車でクリスティーヌを乗せていくのか。シャンドン伯爵自身は家まで帰るんだろうけど、貴族ってすごいや。
シャンパンで乾杯するふたり。クリスティーヌに恋するあまり『雨に唄えば』のジーン・ケリーよろしく街灯に手を回してぐるりと回るシャンドン伯爵。
……と、それを見てるエリック~~~~~~~~! あんまりにかわいそうである。
ところで、コピット版は舞台だと「実はシャンドン伯爵とクリスティーヌは幼馴染」という設定がない気がする(1990年ドラマ版だとビストロの夜に幼馴染カミングアウトがあった気がする)。

……その後、クリスティーヌがティターニアとして歌う夜。楽屋でギリギリまでレッスンをしている。ハートブレイク案件があったにも関わらず、クリスティーヌの歌のレッスンは続けるエリックは偉いと思う。
ちょうど歌っているのは「ああオベロン」の、あの(あとでクリスティーヌが声が出なくなる)箇所である。ここで先に歌わせておいて、「本当はご覧の通りクリスティーヌはバッチリ歌えるのだが、カルロッタのせいで声が出なくなった」というのを印象付けるつくりが上手いと思った。
クリスティーヌの楽屋には、入れ替わり立ち代わり人が現れる。エリックの次には、赤い薔薇を携えたシャンドン伯爵。そして次はカルロッタ。
シャンドン伯爵がクリスティーヌに薔薇を渡す瞬間をばっちり見ていたエリックだが、その後、彼はいつまで楽屋裏の鏡に居たんだろうか。カルロッタがクリスティーヌにハーブティーを飲ませるころにはもう居なかったのは確かである。やっぱりシャンドンショック(とは)ですぐ帰っちゃったのかな……。もう少しエリックが粘っていてくれれば防げたかもしれない災難があった。かなしい。

そしてクリスティーヌのティターニア。声は……当然出ない。
先ほども言ったが、エリックはカルロッタへの嫌がらせで喉は狙わなかったが、カルロッタはクリスティーヌをぺしゃんこにするために真っ先に歌声を狙ったのが容赦ないと思う*5
シャンデリアを吊るすロープを切って、舞台が混乱しているうちにクリスティーヌを連れ去るエリック。シャンドン伯爵が追いすがりはしつつ、わりとぬるっと連れ去りに成功していた。

 

2幕

クリスティーヌを連れ去ったエリックが、舟で地下水路を漕ぐ場面から。
「君が女王かのように仕えよう」「僕を見捨ててはいけないよ」的な歌詞があり、声自体は穏やかで、まるで子守歌のようなのに、こ、怖すぎる……! と思った。クリスティーヌがひどい目に遭わされて、ここからエリックも本格的にその「外を知らぬ純粋さ」ゆえに狂気に走ってしまうのかな、と思った。
舟が紫を基調とした花で彩られており、「クリスティーヌを地下に迎える日を夢見てデコレーションしていたのか、それともそもそも日頃から趣味で装飾しているのかどっちだろう」と思った。どっちでもかわいい。でもその舟のまま、カルロッタに復讐するためにちょっと厳つい黒い仮面でまた出かけていくエリック、ギャップが……!

エリックの母・ベラドーヴァの肖像画は特にクリスティーヌに似ているというわけでもなさそう。姿かたちまで瓜二つ……というより、声がとても似ていた、ということなんだろうか。

キャリエールによる過去の回想、バレエシーンがとっても良かった!
私はバレエ経験者でもないし、細かい振付に詳しいわけでもなく、技の名前すらよくわかっていない。たまに東京文化会館に足を運んでは「すっげ~~きれいだった」という感想を抱いて帰ってくる人間だ。
それでも、観ていて「ベラドーヴァ(キム・ジュウォン)……ものすごく踊れる方なのでは!?」と思い、調べたところおそらく本職のバレリーナの方っぽい。すごい。アイドルとソプラノ歌手とバレリーナがいる舞台、異種格闘技すぎる。
特にベラドーヴァがエリックを産んだ後、徐々に寿命が尽きてきたらしいあたりの踊りに胸がぎゅっとした。何度も何度も幼いエリックの方に手を伸ばすさまに、「本当にエリックのことを愛していたんだな……」と目元がじんわりした。私が子持ちだったら大号泣していたかもしれない。
エリックとクリスティーヌが歌で表現される愛なら、ベラドーヴァとキャリエールのそれは踊りなんだな、と思った。
(そういえばエリックとクリスティーヌのHomeのところかどこかでマントの動きのシンクロについて述べましたが、ベラドーヴァとキャリエールも動作のシンクロ演出あった気がします。対比だ~)

カルロッタの始末の仕方、アグレッシブすぎません? 何あれ。びっくりした。カツラに虫仕込んだりグラスをお盆にくっつけていたエリックはどこへいった。クリスティーヌに危害を加えられたからもう手加減無用ってことですか?
確か宝塚や城田優演出版ではナイフで刺していたような気がしたのだが、韓国版は……あれは、電気ショックですか? びっくりした。今まで観たミュージカルの中でいちばん変化球な殺害方法かもしれない*6

エリックとクリスティーヌのピクニックシーンって、いろいろと苦しくなりますよね。胸が。
おそらくカルロッタ殺害帰りのエリックが戻ってくる。慣れない殺人をして動揺しているらしい……なのに、こう、目を覚ましたクリスティーヌとの空気感が、両片思いの高校生みたいな初々しさみたいなのは何なんだ。温度差よ*7
ピクニックへとクリスティーヌを誘い出したエリックが、「迷子になってはいけないから」と腕をクリスティーヌに差し出す場面、いいですよね。クリスティーヌがそっと手を伸ばすと微笑むエリック、かなりいい。もうこのピクニックの場面で全てを終わりにしませんか?
「ここは森なんだ」とエリックに紹介されて、一瞬「……?」という反応をするクリスティーヌ。観客からすれば舞台セットは等しく舞台セットであるため、作品世界のリアリティラインが不明なのだが……おそらく彼女の反応からするに、エリックの言う「森」は思いっきり作り物らしい。オペラ座の舞台セットでも拝借したのだろうか。エリックの世界を察したのか、クリスティーヌはその後すぐさま「ええ、森なのね!」と反応を返す。やさしい……。
その一方でクリスティーヌは、森のセットを動かしているひとたちに「あのひとたちは?」と言う。「誰もいないよ」と返すエリック。歌舞伎あたりで言う黒子さん的なやつの扱いですね! 物理的にはいるけど舞台演出上はいないことになっているやつだ! エリックの世界は本当にこう……舞台の構造というか、すべてが演出で、彼はオペラを通してでしかよその世界を見られなかったんだな、と悲しくなった。
なんだかんだ豪華なバスケットが用意されているピクニック地点。エリックとクリスティーヌがグラスで乾杯するのを見て、「もしかしてエリック、ビストロの夜にラウルとクリスティーヌがふたりで乾杯するのを見て、それを真似しようと……?」と深読みが発動してしまい、勝手に哀しくなりました。

歌ってほしいというエリックに、「もし歌ったら、私のお願いを聞いてくれますか?」と言うクリスティーヌ。エリックはすぐに「だめだ」と言うけれど、願いの内容を聞く前に拒否する辺り、もう何を言われるか薄々察していそうなのが辛い。そして「もうすぐ雨が降りそうだから……」なんて言ってピクニックを切り上げようとするけど、地下に雨は降らないんですよね~~~~! すべてが辛い。
そしてクリスティーヌの『My True Love』……。夢に見た天使の歌声であんなに歌いかけられたら拒絶のしようがない。しかも「愛しい人が自分の顔を受け入れてくれるかもしれない」なんて希望がちらついてしまったらもうどうにもできない。クリスティーヌに手を握られてあんなに歌いかけられて、エリックがその長身を折り曲げて足元ふらっふらになっているさまが……私はその後の悲劇を知っているのに「いや、うん……それは、素顔を見せてしまうよね……」と思ってしまった。

素顔を見せた結果なにが起こったか、もう言うまい。何も知らずに不意の事故で見て悲鳴を上げてしまうのと、「受け入れられるはず」と思ったうえで自ら進んでその素顔を見て逃げてしまうのと、どちらにもそれぞれの残酷さがある。

さて、地上ではシャンドン伯爵が「ぜったいにこの楽屋の中なんだ」とクリスティーヌを必死に探し続けている。鏡の裏側にたどり着いて隠し扉をたたくクリスティーヌ。
「逃げてしまったからエリックを傷つけてしまったかもしれない。驚いてしまっただけで、愛しているって伝えないと」と言う彼女。
じゃあそもそも逃げないであげてくれ……! と思ってしまうのだが、エリックとふたりで誰もいない地下と、シャンドン伯爵やキャリエールといった見知った人たちがいる馴染みの場所ではパニック度合いが違うだろうな、とも思った。楽屋まで戻ってようやく安心したと同時に、エリックのことも考える余裕ができたのかもしれない。とても人間的な反応だと思う。
ここまで書いて気づいたけどここのエリックとクリスティーヌってやっぱり愛し合ってますよね? どうしてこんなに今悲劇的な展開になっているんだ? そんなことある?

そしてやはりクリスティーヌのあとを追って地上に来たエリック。腹を撃たれて息も絶え絶えになりながら、キャリエールに「土の中に深く埋めてほしい」と告げるの……あ、あんまりだ……。

ところでラスト、エリックがキャリエールに撃たれた瞬間、スローモーション使いましたね? ドラマチックに演出したいのはわかるんですけど、舞台映像をまるで舞台をそのまま観ているかのような臨場感で見たいと思っている派閥なので、ちょっともったいないな! スローモーションなしで観たかったな! と思いました。

しかしほんとうに『You Are Music』の旋律は本当に美しいし、ラスト、エリックの右手をキャリエールが、左手をクリスティーヌが包んで、そのクリスティーヌにはそっとシャンドン伯爵が寄り添っている……という画がほんとうによかった。エリック、ちゃんと、今わの際には愛されていてよかったな……。

 

カーテンコール

カーテンコールまでが本編です。

エンドロールが始まったからってよっぽど火急の要件がない限り退場しないほうがいい!!! 私はカーテンコールで絶叫しそうになところを、梅干しみたいな顔になることでなんとか我慢しました!!
あまりカーテンコールの幸福成分までインターネットに気軽に放出しないほうがいいのかもしれないな……と思ったので今は詳しくは書きませんが(上演期間が終わったら追記するかもしれません)エリックとクリスティーヌは一生幸せでいてください。
あとはコピット版は意地でもエリックの素顔は見せないスタイル、いいと思います! 好きです!

 

 

思い出すがままにそのまま全部書いていたら1万字近くになってしまった。この辺りで筆を置こうと思います。ここまで読んだ方がいたら本当にお疲れさまでした。
韓国にいつかミュージカル観劇遠征に行ってみたいなあ。

*1:2幕地下まで観た覚えはある。そこまで観たなら最後まで観ろよと今では思う

*2:私は『ラブ・ネバー・ダイ』を、あくまでオペラ座の怪人本編のアナザーストーリーとして愛好している。「『オペラ座の怪人』は余白を残した終わり方であり、そこから観客や演者の数だけ"その後"が存在する」というふうに私は思っているし、それが魅力の一つだと思っている。だから、その数多ある想像や世界線のひとつとして『ラブネバ』が存在するのは個人的には大歓迎である。しかし、"続編"としてラブネバを出されると、あたかも「『オペラ座の怪人』の10年後は『ラブネバ』になるのが公式です」と言われているようで、さすがにそれはちょっと……と思っている。

*3:……と、この物語を「作品」として観ている客である私は勝手に思うのですが、演者の見目の良さと作品世界内のキャラクターの見目の良さは完全にイコールではないだろうし、そもそも仮面の下がどのような状態なのか特にコピット版の演出では明示されないので、こういう感想もまたちょっと自分が持つのはおこがましいとは思っている(同じ感想を持つ他の方を攻撃する意図はないです)。もし仮に本当に地上に出てやっていける容姿だとしても、エリックにとっては生まれてからずっと彼の世界というのは地下で完結しているし、キャリエールは外に出すなんて思いもしないだろうし、誰も「外」という発想をまず思いつきもしないというのがまた悲劇だと思う。カルロッタの声が地下まで響き渡るシーンで、キャリエールに対して「僕も連れて行ってくれ」なんてエリックは言うけれど、きっと本当の本気ではないんだろうな……。

*4:もともとが英語で上演されているし、四季のオペラ座だって「アイラブユー」って言ってるしな! と思ったが、そもそもこのオーマイゴッドが私の空耳だったらどうしよう

*5:カルロッタの『This Place Is Mine』で、「美しい女優を育てるのは私」という歌詞のところでナイフのようなものを持っており、怖くて心が泣いた。育てる気……ないだろ!

*6:おそらく私の夢の中でフランツ・ヨーゼフよろしく『悪夢』が上演されるとしたら、たぶん親戚一同の代わりにミュージカルのキャラクターの死にざまでも出てくるんだと思う。間違いなくその中にこの韓国版ファントムのカルロッタは登場すると思う。とにかくそのくらいびっくりした。

*7:気づいたけど、コピット版のクリスティーヌってエリックがブケーやカルロッタを殺したこと知らないのでは? 彼女視点だと「私に歌を教えてくれたマエストロ」「地下で暮らしている」でしかないことに気づいた。エリック=ファントムであることはキャリエールから聞かされているので、ひょっとしたらブケーの件や数々の公演妨害は思い当たっているかもしれないが、カルロッタの件は知りようがないと思う。ひえ~。