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平均よりちょっとだけ多めに映画を観る人間の雑記

早川雪洲は本当に「セッシュウ」していたのか

 

私は映画俳優・早川雪洲が好きである。「誰?」と思った方はこの後のブログを読まないで彼のWikipediaでも読んでください。

ja.wikipedia.org

そしてYoutubeで彼の出世作である『チート』でも観てください。

youtu.be

ようは、早川雪洲という男は美形悪役としてハリウッド草創期に一世を風靡した大スターである。

Twitterで日夜彼の名前をサーチしているが、最も多くヒットするのは早川雪洲は業界用語である『セッシュウ』の元ネタである」という趣旨のツイートである。

俳優を踏み台に立たせて構図を調整すること自体は古くから行われていたが、かつてハリウッドでこれを「セッシュウする」と呼んでおり、その後これが日本をはじめ世界に伝わり広まった。
由来は、1920年頃からハリウッド映画で大活躍し、1958年には映画「戦場にかける橋」において日本人初のアカデミー賞ノミネート俳優ともなった早川雪洲Sessue Hayakawa)の名前から。アメリカ人と比較して身長の低かった早川(約172 cm)に対し、圧倒的な二枚目役を演出しなければいけないため「セッシュウが低いから彼を踏み台に立たせてくれ」という指示が次第に省略され、最後には「セッシュウする」の一言となった。*1

しかしながら、今まで早川雪洲に関係する書籍を読んできた中で、彼が撮影の際に踏み台に乗っていたというようなエピソードに出会った試しがない。ようは『セッシュウ』というスラングを主軸においた方向、スラングありきでの言及しか見たことがないのである。
それでいて上記の言説がまかり通っているのが納得いかないので、「早川雪洲は本当に『セッシュウ』をしていたのか」について考えたいと思う。

 

そもそも早川雪洲の身長は何cmなのか

重要な前提である。身長が高ければ踏み台に乗る(=セッシュウする)必要性はないし、低ければその逆である。
冒頭に引用した『セッシュウ』の説明において、彼の身長は172cmとされている。
中川織江氏の『セッシュウ! 世界を魅了した日本人スター・早川雪洲』の記述によれば、

・1907年渡米時点:168cm
・1917年ハワイでの自己申告:173cm
・同年『米国映画名優写真集』:170cm

とのことでまちまちである。
ただ、私がこれまで早川雪洲について調べてきた中で、彼は自己演出が上手い男である(とりわけ年齢については実年齢より13歳若く書かれている記事もある)ように見受けられる。よって、(ある程度伸びもしようが)身長もサバを読んでいると仮定して、実測値に近い170cmあたりが適当ではないかと思う。

日本人の1915年における平均身長は男性:約162cm、女性:約151cm*2であることから、日本人平均よりも身長が高かったことがわかる。

1910年代のアメリカ人の平均身長についてはデータが見つけられなかったが、1896年のデータ*3によると男性:171cm、女性:159cmだったそうだ。
100年の間で男性の平均身長は約6cm、女性は約4.5cm伸びたそうなので、100年間で均等な割合で平均身長が伸びたと仮定すると、1910年代(中央値で1915年)のアメリカ人の身長は男性:172cm、女性:160cmとなる。
こう考えると、雪洲はアメリカ人男性の平均近くの身長はあったし、平均的な女性よりも高かったと推測される。


先行研究等における雪洲の身長の評価

早川雪洲に関する書籍を書かれた諸氏がどのように彼の身長についてコメントしているか見ていこうと思う。

1.『聖林の王 早川雪洲

まず『聖林の王 早川雪洲』(社会思想社、1986)の野上英之氏は、

雪洲自身の台詞では彼の身長は百七十二センチ。これは当時の日本人としては相当な大男だ。(p77)

まず172cmあったら当時ならば大男、という価値観が提示されている。続けて、

だが、面白いことには日本映画界には「雪洲する」という映画用語がある。これは背丈の小さい俳優がラブシーンなどの撮影のおり、女優とのバランスを考え、踏み台に乗って自分の背丈をごまかす時に使う用語なのである。雪洲にとってはまことに無礼な用語だが、映画人はこの種の言葉を作る天才だからしようがない。つまり雪洲は背丈のことで日本のスタッフからからかわれた。むろんこれには海外で大成功をおさめた俳優に対するやっかみや、いくばくかの悪意があるのだろうが、ひょっとすると、現実の早川雪洲はさほどの大男ではなかったのかもしれない。戦後、ハンフリー・ボガートと共演した「トーキョー・ジョー」のスチール写真で雪洲はボガートと並んで写っているが、一七七センチのボガートよりかなり小さい。(p77)

と述べている。
日本のスタッフからからかわれた、という点については、雪洲は日本映画界に馴染めなかったようなのでやっかみや悪意という理由については納得感がある。彼は日本映画界の流儀に反する行動ばかりしたので(納得するまで何度も撮り直しを要求するなど)、マキノ雅弘に名前をもじって「早うから殺生」と言われていたエピソードも残る。

ハンフリー・ボガートと比べるとかなり小さい」という話だが、実際に画像を見てみようと思う。

「かなり小さい」と表現するほど小さいのか? と思うが、主観なのでなんともしようがない。帽子も被っているし、また当時雪洲は63歳なので、加齢によってある程度縮んだ可能性は十分にある*4。壮年期(というよりもはや老年期)になってからの身長を見比べるのはあまり合理的ではないように思う。

2.『早川雪洲 房総が生んだ国際俳優』

早川雪洲 房総が生んだ国際俳優』(崙書房、2012年)の大場敏雄氏は(以下、小さいカッコがきはすべて引用者注)

身長は五フィート六インチと記されている。すなわち一六七・六四センチメートル、五尺五寸となる。「到着港における合衆国移民官のための外国人乗客名簿」の金太郎(雪洲の本名)と同頁に記載された満十八歳以上日本人男性二十四人のなかで、最も背の高い人は五フィート八・五インチ(173.99cm)あり、金太郎は高い方から順位をつけると二十四人中六番目となる。金太郎は大男とは言い難い。(p48)

と記述している。
最も背の高い人と雪洲の身長差は6.35cmとなる。しかし、大場氏の記載する範囲のデータしかわからないこちらとしては、残りの人間の身長がわからないため、一概に「雪洲が大男ではない」とは言えない。5フィート8.5インチの彼が外れ値かもしれない。数値の範囲や分散がどの程度なのかわからないと評価のしようがない。

 

3.『セッシュウ! 世界を魅了した日本人スター・早川雪洲

『セッシュウ! 世界を魅了した日本人スター・早川雪洲』(講談社、2012年)の中川織江氏は、

映画や芝居用語で台に乗って背を高くすることを「セッシューする」という。だから雪洲はチビだったように思われるかもしれないが、当時の日本人男性の標準からすると、身長168センチはけっして低くない。鶴子も、雪洲に会った印象を「背の高い、髪の黒い、一人の日本人青年」(『婦人倶楽部』1960)と述べている。
ちなみに、船客名簿(1907年渡米時、シアトル港のもの)の記載順に日本人男性15人の身長をみると、最低は5.05フィート(153.924cm)、最高は5.85フィート(173.99cm)、平均身長は5.38フィート(163.9824cm)。雪洲の5.60フィート(167.64cm、同著では168cmと記載)は平均以上である。(p85)

と書いている。
おそらく大場氏と同じ資料を参照したものと思われるが、乗客した日本人男性の人数が24人と15人で食い違っているのが気になる。ともあれ、雪洲の身長は船客の日本人男性の中においても平均以上であったようだ。

この他に、1931年の朝日新聞における雪洲の出演舞台『天晴れウォング』の批評記事には「邦人俳優として 、立派なる体格の所有者」と表現されていたり、森岩雄早川雪洲』(東洋出版社、1922年)では「身長、五呎七寸半(約173cm)、體重十九貫余(約71.25kg)の堂々たる偉丈夫」(p36)と書かれている*5など、当時の日本人からすれば雪洲は大柄だったことがわかる。

ちなみに雪洲の自伝『武者修行世界を行く』では、初めてアメリカに足を踏み入れた際の心境を振り返って以下のような記述がある。

街を歩いている人々の背の高いこと、それに第一男よりも女に驚いた。女がみんな私より背が高い。それがハイヒールを履いて歩いてるのだから、「こんな女を細君にもらったら大へんなことになる」と妙なことがピーンときた。

先程の推測(雪洲は平均的なアメリカ人女性よりも背が高い)を考えると、これは多少大げさに言い過ぎな気がしないでもない。21歳当時で初めて異国の地にやってきた雪洲にとってはさまざまなこと、とりわけハイヒール文化が新鮮に見えたのかもしれない。

 

実際の映画のシーンでの検討

雪洲の身長について考えたところで、実際の映画撮影でセッシュウしていたのかどうかについて考えてみようと思う。

1.チート(The Cheat, 1915)

まずはみんな大好き(?)『チート』である。
早川雪洲は日本人富豪の役で、投資話で横領した金をすってしまった社交界の貴婦人に迫る役どころである。

まずは全身が写っていそうな場面。

手前、帽子を被って上着を抱えているのが雪洲

足元までしっかり写っているが、踏み台のようなものは見受けられない。隣の貴婦人役の女優(ファニー・ウォード)とも顔0.5個分ほどの身長差がありそうに見える。

場面は変わって雪洲演じる富豪が自邸を案内する場面。静止画なので伝わらないが、このカットの前後にかなり歩き回っており、踏み台に立つようなスペースと余裕はないように思える。(おそらく雪洲のほうがカメラから遠く立っているのも加味すると)この場面も先述の場面と同程度の身長差は見受けられる。

続く場面(おそらくカメラからの距離は同程度)でも同じくらいの身長差である。

 

2. シークレット・ゲーム(The Secret Game, 1917)

第一次世界大戦からそう経過していないときの制作ということもあり、雪洲は日本人スパイを演じている。元動画はこちら:

The Secret Game 1917 Sessue Hayakawa, Jack Holt, - YouTube


この映画ではヒロインと一緒に写っている、なおかつ足元まで写っている場面が存在しなかった。

ただし終盤のこの場面は(例によって静止画だと伝わらないが)ヒロインと走って移動してきたところであるため、踏み台は無いと思われる。そして雪洲のほうが身長が高い。

 

3. 男の血(The Man Beneath, 1919)

早川雪洲の独立プロダクション映画である。
オランダの映画アーカイブYoutubeにアップロードしており、そちらから視聴ができる。ありがたい。

The Man Beneath - YouTube

ラストの方の全身が写っている場面。

そしてそれに続くカット。

上半身が中心に映るシーンになっても身長差が変化している様子はない。二人の身長はだいたい同じくらいだろうか。

 

おまけ

他の映画で早川雪洲が別のキャストと並んでいる場面を挙げてみた。

Night Life in Hollywood(1922) 左から2番目 鶴子夫人も一緒

Daughter of the Dragon(1931) 左から2番目

わざわざ踏み台に立たせるほど身長は低くないような気がする。

 

結論

当時の身長の考察・ざっくり映画3本を例に出しての検討をしたが「『セッシュウ』していた可能性は完全に否定できないが、そのまま業界用語になるほど雪洲自身が踏み台を使っていたとは思えない」といった感じである。身長の低い女優を選んで相手役に起用している可能性もあるし、踏み台ではなくシークレットシューズを仕込んでいる可能性も否定はできない。
日本人≒早川雪洲だった時代、早川雪洲(あるいは彼の演じた役)のイメージが日本人のイメージになったこともあっただろうし(『チート』が国際問題になった一件などまさにそう)、反対に日本人概念のイメージが早川雪洲という存在に結び付けられることもあっただろう。そういうわけで、早川雪洲自身が実際に踏み台に乗っていたかどうかはあまり関係なく「日本人は往々にして欧米人より背が低い」というイメージがたまたま雪洲に関連付けられただけのスラング的用法のように思う。

結局のところ「『セッシュウ』は早川雪洲が撮影の際に踏み台に乗っていたことに由来」という説明はあまり適切とはいえないのではないだろうか。こんなことにいちいち目くじらを立てる人間は私だけかもしれないが、逆に言うと私がいなくなると誰もこれを主張する人間がいなくなる気がするので声高に主張していきたい。

 

2022/12/27 修正ののち再掲

*1:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5

*2:http://honkawa2.sakura.ne.jp/2182a.html

*3:https://edition.cnn.com/2016/07/26/health/human-height-changes-century/index.html#:~:text=A%20century%20ago%2C%20American%20men,(5%20feet%2010%20inches).

*4:私の父も60になる前に3cmくらい縮んだらしいので、仮にそのくらい縮んだと想定すると雪洲とボガートで10cmほど差があってもおかしくはない

*5:173cmは雪洲の公称をそのまま使ったと思われるが、その後の「堂々たる偉丈夫」という記述をここでは重視したい